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精霊の舞、継ぐ者たち ④

last update Last Updated: 2025-04-01 10:15:37

 村人たちとの遣り取りを遠くから眺めていたクラウディアがリノアとエレナの前に歩み寄り、若者たちに向けて口を開いた。

「よしなさい。二人を責めて何の意味がある。儀式は終わったんだ。もう帰りなさい」

 言葉は穏やかだが、その言葉には威厳が含まれている。反論できる者などいるはずはない。村人たちは一礼して、その場を去った。

 広場に漂っていた重苦しい空気が徐々に解けていく。夜風が頬を撫で、静けさが戻った。

「リノア、エレナ。みんな不安で仕方がないんだよ。許してやっておくれ」

 クラウディアはリノアとエレナに向き直り、優しい笑みを浮かべた。

 クラウディアの言葉にリノアは胸に抱えた緊張が少し和らぐのを感じた。

「私たち、『龍の涙』の謎を探ろうと考えています」

 リノアはクラウディアの目を真っ直ぐに見据えながら言葉を放った。

 クラウディアの鋭い瞳がリノアを捉えた。その瞳には何かを測るような光が宿っている。短い沈黙の後、クラウディアは静かに口を開いた。

「覚悟はあるのかい?『龍の涙』には、ただの力ではないものが宿るとされる。命を懸けることになるかもしれないよ」

 リノアとエレナは互いに目を合わせ、力強く頷いた。

「森が弱ってる。私、感じるの。何か悪いことが起きようとしてるって」

 リノアの言葉を聞いたクラウディアは静かに目を閉じ、長く思案するように黙り込んだ。その後、彼女はゆっくりと目を開け、視線を祭壇へと移した。

「森の異変には気づいている。ここ最近、長老たちの間でも議論が絶えなかった……。だが、お前たちがその謎に迫る意思があるならば、私は止めるつもりはない。ただし、その先にある真実が優しいものとは限らないことを決して忘れるんじゃないよ」

 長老たち……。長老は各、村に一人しか存在しない。ということは他の村にも異変が起きているということだ。

「クラウディアさん、何か知っているのですか? 昔の話でも良いから教えて頂けませんか」

 リノアはクラウディアを真っすぐに見据えて言った。

 クラウディアは一瞬、黙った後、低く落ち着いた声で語り始めた。

「古い言い伝えにはこうある。『森が鳴く時、世界の均衡が揺らぐ』と」

「森が……鳴く?」
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